2024年11月17日日曜日

神の思い、人の思い 

聖書箇所 マルコによる福音書10章32-34節

するとイエスはまた十二弟子を呼び寄せて、自分の身に起ろうとすることについて語りはじめられた                        マルコによる福音書1032

1.驚き怪しんだ弟子たち

イエスさまは十字架の受難と復活にまっすぐ向かって行かれます。弟子たちはイエスさまのお心を理解できず、驚き怪しみました。彼らはイエスさまが、死や十字架とかかわるはずがないと思い込んでいました。思いがかたくなな彼らは、受難と復活について三度聞かされても、悟れませんでした。たとえ自分の思いですぐに納得できなくても、お言葉に素直に聞き従う大切さが教えられています。

2.時にかなった導き

この時イエスさまは、弟子たちに受難と復活の意味は教えられませんでした。それは、弟子たちがまずイエスさまの復活の事実を伝える証人として立つことを望まれていたからでした。やがて弟子たちは聖霊の助けで、十字架と復活の意味をも解き明かす証人となります。神さまの導きは時にかなって、相応しく与えられます。これに素直に従えば、神さまのお心からそれることはありません。

3.復活の証人として

弟子たちは予告の真意を悟れませんでした。自分たちの思いだけに捕われていて、予告がその思いに反していたからです。しかし彼らは聖霊によって、自分たちの思いでかたくなだった心が砕かれました。そして神さまのお心に従う歩みに変えられて、復活の証人となります。聖霊は信じた私たちにも助けと導きをくださいます。自分の思いではなく、神さまのお言葉に従い行きましょう。それが神さまの喜びとなり、私たちの喜びともなります。神さまは、私たちをキリストの復活の証人の一人として輝かせてくださるのです。

2024年11月17日 週報より

2024年11月10日日曜日

誇りとするもの

聖書箇所 マルコによる福音書1023-31

それから、イエスは見まわして、弟子たちに言われた、「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」。                              マルコによる福音書1023

1.富か神の国か

イエスさまは「富んでいる者が神の国に入るのは難しい」と言われました。当時のユダヤの人々は、富こそ神さまの祝福であり、富んでいる者が、神の国に最も近いと信じていました。弟子たちも同じでした。そこでイエスさまはそんな弟子たちの世の常識的な思い込みを、あらためさせようとしてこのように言われたのでした。

2.自分を誇るか主を誇るか

当時、富んでいる人は人の目にふれるようにして、献金箱に多くの献金を投げ入れていました。そしてその行いでますます祝福されると考えていました。しかし神さまの祝福は人の行いの結果で与えられるものではありません。神さまの一方的なあわれみによるのです。神さまの前に自分を低くして、常に神さまへの感謝があるかが大切なのです。富があるかないかではなく、自分を誇っているか神さまを誇っているかが問われています。イエスさまは弟子たちがこのことをよく理解できるようにと導いておられました。

3.世の安定か霊的祝福か

イエスさまは「家族と一切の関係を絶ち、持ち物を手放さなければ、神さまの祝福はない」と教えておられるのではありません。  変わりゆくこの世のものを拠り所とせずに、変わることのない神さまに頼る思いが大切だと解いておられたのです。世のものだけに安定を求めると、結局はそれを根拠に自分を誇り、自分を高ぶらせていくことになります。人の本当の安定と祝福は、目には見えなくても確かにおられる神さまの御手の守りと導きの中にあるのです。

20241110日 週報より

2024年11月3日日曜日

恵みを拠り所として

聖書箇所 マルコによる福音書1017-22

あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。  マルコによる福音書1021

1.疑問を持った青年

イエスさまにひとりの人が走り寄って質問をします。彼は役人をしている青年でした。そして資産家でもありました。また律法に基づいた決まりを守る熱心なユダヤ教徒でした。それでも永遠の命を受けて、神の国に入る確信はありませんでした。青年は、イエスさまを律法学者よりも権威ある先生と見込んで教えを求めました。

2.導きを悟れない青年

青年は努力の報酬として永遠の命がいただけると思っていました。そんな青年にイエスさまは十戒の戒めを示されます。青年が律法の前に自分の無力さ、罪深さを知って砕かれるように導かれたのです。そして「永遠の命は報酬ではなく、相応しくない者に与えられる恵みだ」と教えられました。しかし青年は恵みに目を向けられず、「それらは小さい時から守っています」と答えました。

3.資産を手放せない青年

青年の信仰の土台は、資産家としての物質的なゆとりでした。イエスさまは、信仰の土台は神さまの恵みであると教えるために「財産を手放してわたしに従いなさい」と言われたのでした。財産が悪だとしているのではありません。財産などの世的なものを信仰の拠り所にすると、神さまの恵みを土台にした信仰に立てないということなのです。青年は財産を最優先する心から離れられずに、イエスさまの前から立ち去りました。私たちはどうでしょうか。神さまの恵みによって救いをいただいたのに、いつの間にか世的なものを拠り所とした信仰になっていないか顧みる必要を教えられています。

2024113日 週報より