2026年3月1日日曜日

訴えよりも一致を

聖書箇所 コリント人への第一の手紙67-11

なぜ、むしろ不義を受けないのか。なぜ、むしろだまされていないのか。 Ⅰコリント67

1.信仰による勝利

パウロは、教会の兄弟姉妹同士が訴え合うこと自体が信仰者の敗北だと語ります。そして信仰者として、正しさの主張よりも群れの霊的一致を重んじるよう勧めています。世的な勝利を求めて争うことは、神さまに敵対する側に立つことになると言うのです。世の理屈に合わなくとも甘んじて受け入れることこそが、神の前における信仰の勝利であり、信仰者の姿であること教えています。

2.キリストのからだ

信仰者は頭なるキリストのもとで一つのからだとされた存在です。ですからパウロはお互いが切り離せない肢体であると教えています。兄弟姉妹を訴えることは、自らのからだを傷つけ、頭であるキリストをいためる行為なのです。世的な損得や正義感にではなく、キリストのからだの一員としての霊的な自覚に立ち、肉ではなく霊の思いで応対していくことが求められています。

3.キリストに守られる自分

人は本能的に自分で自分のものを守ろうとします。しかし信仰者は信頼するイエス・キリストにまるごと自分を預けてしまう生き方を選びました。それは自分に頼らず、自分のものに固執せず、ただキリストの中にあって神さまの愛と喜びと平安をいただく道です。神の畑となり、神さまの思う通りに手を入れてくださいと自分の畑を差し出したのです。そうであれば、あなたは自分で守ろうとしなくても、キリストによって完全に守られるとパウロは言うのです。

202631日 週報より

2026年2月22日日曜日

御心をわきまえ知る

聖書箇所 Ⅰコリント61-6

わたしがこう言うのは、あなたがたをはずかしめるためである。Ⅰコリント65

1.裁判所への訴え

教会の中の小さな争いを、すぐに世の裁判に持ち出してしまうのは、信仰者らしい姿ではないとパウロは言います。信じた者には聖霊によって、神さまの思いに従って考える力が与えられています。それなのに世のやり方ばかりに頼るのは、霊の人として成長していない姿だとパウロは指摘しているのです。

2.わきまえ知る

「わきまえ知る」とは、何が神さまに喜ばれることかを見分けることです。これは自分の努力だけではできません。聖霊が心を新しくしてくださるとき、私たちは神さまの御心を知り、それに従うことができるようになります。毎日の生活の中で、霊的な判断を基準にして歩むことが大切なのです。

3.恥ずかしくない者

教会の問題を世に持ち出しても恥ずかしいと感じないのは、霊的に鈍くなっているしるしです。霊的に判断をしていくとは、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれかつ全きことであるかを知って、従っていくということです。この力は聖霊の助けによって与えられます。神さまの前にへりくだり、聖霊を意識する歩みが、私たちを霊的に整え、心を新しくするのです。そして考え方、生き方、判断力、意志、感情などのすべてが、この世的なものから、遠ざけられていきます。それがこの世を超越した、神さまの喜ばれる信仰者の姿なのです。

2026222日 週報より

2026年2月15日日曜日

罪に目を向けて

聖書箇所 コリント人への第一の手紙59-13

その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。Ⅰコリント513

パウロは、前の手紙(詳細は不明)が誤解されていることを述べ、信仰者が聖さを保つための大切なことを伝えようとしています。

1.信仰者への悪影響

信じていながら罪(聖書が指摘する罪)にとどまり続ける人は、イエスさまの目線で自分を見ようとせず、聖霊の導きにも背を向けています。その姿は周りの信仰者の弱さを刺激し、肉の思いを引き出していきます。信仰者であっても決して強くはなく、影響を受けやすい存在です。だからパウロは、罪にとどまり続ける人との交わりを避けるように忠告をしています。

2.群れへの悪影響

罪にとどまり続ける人をそのままにしておくと、教会が誤解され、福音の証しが弱められてしまいます。本来、教会は愛をもって忠告し、悔い改めの機会を与える場所です。しかし、重ねて勧めても聞き入れないならば、教会の健全さと証しを守るため、距離を置く必要があるとパウロは教えています。

3.神が嫌うもの

罪にとどまり続ける歩みは、神さまが忌み嫌われるものです。だから神さまを主と信じる者は、それを軽く見てはなりません。私たちは、その人の重荷を覚えて祈り、主にある愛をもって正しく忠告をします。それでも立ち返ることができない場合は、神さまの聖さを大切にするためにその人を神さまの御手に委ね、交わりを避けることが求められています。

2026215日 週報より