2026年5月10日日曜日

母の日に

聖書箇所 エペソ人への手紙61-3

子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。エペソ61

1.母の日

母の日はアメリカの教会で始まりました。あるご婦人の娘さんが母親に感謝をあらわす記念会を教会で開いたことがきっかけです。教会は神さまを礼拝する場所です。教会では、いのちを与え、自分の母親を与えてくださった神さまに感謝する日として、母の日礼拝が持たれているのです。

2.祝福される母親

聖書は子どもが無条件に両親に服従するのではなく、母親も神さまの前で責任を負う存在であると教えています。弱さや足りなさがあったとしても、神さまから与えられた役割と責任を懸命に果たそうとしている母親に対して、子どもは従順に聞き従いなさいと言われているのです。母親が神さまの代わりに子どもに生き方を示し、子どもは神さまと向き合い成長することで、母子ともに神さまの祝福を受けることになります。

3.慰めてくださるイエスさま

人間関係のトラブルの背後には人の罪の存在があります。それは親子関係についても同様です。人は誰も完全ではありません。神さまは人を罪から解放するためにイエス・キリストの十字架を備えられました。イエスさまは信じるすべての者に罪の赦しと慰めを与えてくださいます。そして人間関係で傷ついた心も癒してくださいます。慰めも癒しも平安もすべてを与えてくださる神さまに感謝いたしましょう。そして母親に感謝する時を持たせていただきましょう。

2026510日 週報より

2026年5月3日日曜日

信仰者の立ち位置

聖書箇所 コリント人への第一の手紙725-35

わたしがこう言うのは、あなたがたの利益になると思うからであって、あなたがたを束縛するためではない。Ⅰコリント735

1.置かれている環境を見る

パウロは結婚の是非を一律に決めるのではなく、その人が置かれている環境をよく見極めるよう勧めています。当時のコリント教会は迫害の危機にあり、周囲に目立つ行動を起こせば、何かしら苦難を招く恐れがあったようです。これは結婚の否定ではなく、置かれた環境で知恵をもって歩む大切さが強調されているのです。

2.歴史的な視点で見る 

パウロは「時は縮まっている」と語り、信仰者が終わりの時代に生かされていることを自覚するよう促します。これはいつ終わりが来てもよい備えをしておくようにという意味です。そしてこの世に深く関わりすぎないようにと教えます。世は過ぎ去り、そこに費やしたすべても空しく消えるからです。

3.霊的な視点で見る

パウロは思い煩わないようにと勧め、神さまに心を向けることの大切さを語ります。結婚は信仰の妨げにはならず、むしろ霊的成長の場となります。結婚によって世の思いに心を奪われるならば問題となります。しかし、信仰者は世からの距離を保ち、神さまと深く結びついた霊的な位置に立てるようにされているのです。

置かれた環境を見極めて、神さまに与えられた役割に立つこと。また終わりの時代に立っているとの自覚を常に持つこと。そして神さまとの霊的結びつきによってこの世との適切な距離を保つことで、霊的視点で物事を捕らえることのできる信仰者となります。

202653日 週報より

2026年4月26日日曜日

不満から抜け出す

聖書箇所 コリント人への第一の手紙717-24

兄弟たちよ。各自は、その召されたままの状態で、神のみまえにいるべきである。Ⅰコリント724

1.まず受け入れる

パウロは神さまから与えられた現状を受け入れることを勧めています。それは変化を求めてはならないという意味ではなく、神さまのご計画に信頼して歩むことです。人は苦しみや不満から神さまを求めます。しかし求めても自分の願い通りにならないと神さまを疑いやすくなります。いつも神さまが最善を備えておられると信じ、祈りつつ御心に従う歩みをするようにと教えられています。

2.立場の違いによらず

パウロは割礼と無割礼の問題を取り上げ、外面的な立場や違いが信仰の本質ではないことを示しています。大切なのは神さまを愛し、人を愛する歩みです。神さまは、私たちの状態や立場をすべてご存じのうえで救ってくださいました。だからこそ、与えられている環境を受け入れて歩みなさいと教えています。外面的な違いにとらわれるのではなく、神さまの戒めを守ることが信仰の中心です。

3.現状に立って

パウロは奴隷の例を用いて、どのような立場であっても神さまに仕えることができると教えています。奴隷であっても救われた者は、罪から解放された真の自由人です。また自由人として救われた者は、奴隷の立場の信仰者を見下げずに、傲慢にならないようにと忠告されています。現状に不満を持つのではなく、すべては神さまのご計画として受け入れ、今ある環境で主に仕えていくことが大切です。自分中心の思いを十字架につけることで、不満から解放されて、神さまに仕えるしもべの歩みができるようになります。

2026426日 週報より