2026年11月1日日曜日

霊の救いとからだの救い

聖書箇所 コリント人への第一の手紙15章35-49節

天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。Ⅰコリント15章40節

1.この世の知恵の愚かさ

人の理性では、死者がどのように復活し、どのようなからだを持つのかを理解することは困難です。しかし、理解できないからといって復活を否定するなら、人の知恵を神さまより上に置くことになります。パウロは、理屈に合うかどうかだけで判断せず、神さまには不可能なことは何一つないと信頼し、そのみ言葉を受け入れるのが信仰者の姿勢だと教えています。

2.見えにくい霊の救い

私たちは、キリストの十字架によって罪赦された後も、古い肉の欲や神さまから離れて行こうとする思いに悩まされます。しかも自分は本当に罪赦されて救われているのかという疑いを持つことさえあります。たしかに霊における救いは目に見えにくいものです。それでも神さまが与えてくださった救いの確かさを信じて、目の前の状況に左右されずに歩むことが大切なのです。

3.救いの完成

神さまの救いは、霊だけでなく、からだにおいても完成します。死者の復活は、古いからだがそのまま元に戻ることではなく、朽ちるものが朽ちないものへ、弱いものが栄光あるものへと変えられることです。神さまは、私たちの罪や汚れ、肉の弱さを完全に取り除き、キリストに似た、御霊に属する新しいからだを与えてくださいます。私たちは今の自分の弱さや罪との葛藤を最終的な姿と考えて失望する必要はありません。神さまは始められた救いを必ず完成させてくださるからです。それが私たちの消えることのない希望です。

2026年11月1日 週報より

2026年10月25日日曜日

復活の希望に立つ信仰

聖書箇所 コリント人への第一の手紙15章29-34節

もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。Ⅰコリント15章29節

1.更に語るパウロ

パウロは、キリストの復活を否定する人々の矛盾と、誤った教えが信仰に及ぼす危険についてさらに語ります。人間の知識や理解を優先し、福音を自分の都合に合わせて変えてしまうと、信仰の本質を見失うことになります。私たちは、神さまのみ言葉に人の知恵を織り交ぜないで、教えが本当に神さまから出たものかを見極め、純粋な福音に信頼して歩む必要があります。

2.復活を信じないキリスト者の矛盾

「死者のためのバプテスマ」の具体的な内容はよくわかりません。ここではパウロが死者の復活を否定しながら死者のための儀式を行うことの矛盾を指摘しています。人の知恵を優先すると、神さまのお心から離れた儀式や教えが生まれます。そうなれば、福音本来のもつ力と恵みを味わうことはできません。私たちは人の考えによらずに神さまのみ言葉を素直に受け入れることが大切です。

3.復活がなければ空しい覚悟

パウロは、復活の希望がなければ、命の危険を冒す伝道も、祈りや礼拝、罪との戦いも無意味だと語ります。しかし、キリストの復活によって永遠の命と栄光の御国が約束されているからこそ、苦しみの中でも希望を持って歩むことができるのです。自分で福音を変えてしまうようなことが決してないように、神さまのみ言葉に根ざす必要があります。そのためには、誤った教えや交わりに注意しながら、復活の希望を力として信仰生活を続けることが大切です。

2026年10月22日 週報より

2026年10月18日日曜日

『頑張る』をお休みする聖書の話

~空の鳥と野の花に学び、心が軽くなる生き方~

 聖書箇所 マタイによる福音書6章25-34節

広瀬憲夫師                 

マタイ6章25~34節でイエス様が語られた「心配するな」という言葉は、単なる気分の不安ではなく、明日の食事や衣服さえ確保できない貧しい人々に向けられた切実な教えです。現代の私たちは生活必需品に比較的恵まれていますが、健康、老後、仕事、家族、将来の計画など、期待がかなわないことへの不安を抱えているかもしれない。でもそのようなレベルの話ではありません。 

イエス様は、空の鳥や野の花を例に挙げ、「あなたがたの天の父は必要をご存じである」と教えられました。神が「創造主」であるだけでなく、「父」であることが心配から自由になる根拠です。幼子が親を信頼して生きるように、神の子どもとして父の養いを信頼して歩むことが「神の国を求める」生き方なのです。 

一方、異邦人は神を父と呼べない、望みのない状態にありました。しかしキリストによって遠く離れていた者も神に近づけられ、神の家族とされました。大切なのは、漠然とした守護を求めることではなく、「誰が私たちを守り養ってくださるのか」を知ることです。 

その父を明らかにされたのがイエス・キリストです。ヨハネ1章18節が語るように、イエス様は見えない神を完全に示してくださいました。したがって「明日のことまで心配しなくてよい」という教えは、無責任な生き方への勧めではありません。「父が私の必要を知っておられる」という確信に立って、今日神から与えられた務めを忠実に果たすようにとの招きである。心配を抱えたときこそ、それを天の父に委ね、まず神の国とその義を求めて歩むことが勧められています。神は、絵に描いた餅ではなく、生きて働いておられるお方なのです。

2026年10月18日 週報より