2025年9月14日日曜日

教会~人でなく神を見る群

聖書箇所 コリント人への第一の手紙

神の御旨により召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロ Ⅰコリント11

1.コリントの町

当時コリントは港湾商業地として栄えていました。歓楽街が連なる町で、社会の秩序はとても乱れていました。パウロはこの町に一年半とどまって、福音を伝え続けます。アポロがその働きを引き継ぎましたが、その後は指導者がいなくなりました。周囲の乱れた環境の影響もあり、教会の中で様々な問題が起こります。それを耳にしたパウロが必要を覚えて書いたのがこの手紙です。

2.キリストの使徒パウロ

コリント教会では分派の問題があり、どの指導者が一番良いのかという議論が起こっていました。パウロはここで、「神の御旨により召されたキリスト・イエスの使徒」という表現を用いています。一派閥の指導者としてではなく、神さまが立てられた使徒の言葉として、私の声に耳を傾けるようにとの願いが込められています。パウロ自身の思いからではなく、神さまの代弁者としての言葉であることを教会の人々に受けとめてもらう必要があったからです。

3.み言葉に委ねる

パウロはここで「主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々と共に」と言います。「神さまが呼び集められた群れである」と示し、人ではなく、神さまに目を向けさせようとしています。たとえ人を介して語られていても、神さまが直接私に語りかけてくださっていると受けとめる信仰が必要なのです。語る人の評価ではなく、語られたお言葉に自分を委ねて神さまを見上げる大切さが示されています。

2025914日 週報より

2025年9月7日日曜日

イエスさまの復活を信じる

聖書箇所 マルコによる福音書169-20

弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。マルコによる福音書1620

1.復活を信じられなかった弟子たち

マグダラのマリヤと二人の弟子たちは、復活されたイエスさまのことを他の弟子たちに話します。しかし、誰も本気にしませんでした。イエスさまは、弟子たち全員が集まる場に現れることはされませんでした。それは弟子たちの「見ないで信じる信仰」を育み、彼らが目に見えない神さまの恵みを受け取るようになるためでした。

2.復活を信じる難しさ

事前にイエスさまの復活を聞いていた弟子たちでもなかなか信じられませんでした。イエスさまの復活を信じることの難しさが分かります。ある数学者は、復活があり得ないと思えても、多くの人が見たという事実から、実際に起きた確率が高いと唱えました。実は今、この理論の正しさが証明されています。イエスさまが復活された事実には、科学的根拠があるということです。何より復活のイエスさまを信じ受け入れる者が、神さまの愛と喜びと平安に満たされて歩めることは事実なのです。

3.復活の証人とされた弟子たち

イエスさまは、なかなか復活を信じられなかった弟子たちを、根気強く導いて復活の証人として用いられました。彼らを通して、良い知らせ(福音)が全世界に伝えられました。イエスさまは、弱い者、足りない者、また不信仰でかたくなな者をそのままで受け入れてくださいます。私たち一人一人を信じられるように導き、復活の証人として育て、人々の救いのために用いてくださるのです。

202597日 週報より

2025年8月31日日曜日

見ずに信じて歩む

聖書箇所 マルコによる福音書161-8

イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。マルコによる福音書166

1.よみがえられたイエスさま

マグダラのマリヤたちがイエスさまのお墓に入ると、1人の若者が座っていました。そして「イエスはよみがえって、ここにはおられない」と言います。彼女たちは、復活のイエスさまを直接見なくても、よみがえられたことを信じて「見ないで信じる信仰」に立つように導かれていたのです。しかし彼女たちは驚き、恐れて、イエスさまがよみがえられたとは思いませんでした。

2.女性たちの不信仰

この3人の女性たちは、事前にイエスさまから、十字架と復活について聞かされていました。それにもかかわらず、復活の事実を受け入れられませんでした。それは彼女たちが、肉の思いや感情におおわれて、不信仰に陥っていたからです。信仰に歩む私たちもこの女性たちのように、いつでも不信仰に陥る怖さや危険があることを覚えておく必要があります。

3.つきまとう不信仰の思い

私たちは、空っぽのお墓を見て、「イエスはよみがえって、ここにはおられない」との声を聞くことはできません。聖書のお言葉をそのまま受け取って、イエスさまの復活を本気で信じるようにと導かれているのです。見ずともまた聞かずとも、信じることができている私たちは、大いに感謝いたしましょう。そして肉の思いや感情によって不信仰に陥らないように注意しましょう。そのために私たちは、状況に応じて示される神さまからのお言葉を信頼し、そのまま受け入れていく「見ずに信じる」歩みを続けていくことが大切です。


2025
831日 週報より