2026年10月18日日曜日

『頑張る』をお休みする聖書の話

~空の鳥と野の花に学び、心が軽くなる生き方~

 聖書箇所 マタイによる福音書6章25-34節

広瀬憲夫師                 

マタイ6章25~34節でイエス様が語られた「心配するな」という言葉は、単なる気分の不安ではなく、明日の食事や衣服さえ確保できない貧しい人々に向けられた切実な教えです。現代の私たちは生活必需品に比較的恵まれていますが、健康、老後、仕事、家族、将来の計画など、期待がかなわないことへの不安を抱えているかもしれない。でもそのようなレベルの話ではありません。 

イエス様は、空の鳥や野の花を例に挙げ、「あなたがたの天の父は必要をご存じである」と教えられました。神が「創造主」であるだけでなく、「父」であることが心配から自由になる根拠です。幼子が親を信頼して生きるように、神の子どもとして父の養いを信頼して歩むことが「神の国を求める」生き方なのです。 

一方、異邦人は神を父と呼べない、望みのない状態にありました。しかしキリストによって遠く離れていた者も神に近づけられ、神の家族とされました。大切なのは、漠然とした守護を求めることではなく、「誰が私たちを守り養ってくださるのか」を知ることです。 

その父を明らかにされたのがイエス・キリストです。ヨハネ1章18節が語るように、イエス様は見えない神を完全に示してくださいました。したがって「明日のことまで心配しなくてよい」という教えは、無責任な生き方への勧めではありません。「父が私の必要を知っておられる」という確信に立って、今日神から与えられた務めを忠実に果たすようにとの招きである。心配を抱えたときこそ、それを天の父に委ね、まず神の国とその義を求めて歩むことが勧められています。神は、絵に描いた餅ではなく、生きて働いておられるお方なのです。

2026年10月18日 週報より

2026年10月11日日曜日

終末の希望

聖書箇所 コリント人への第一の手紙15章20-28節

しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。 Ⅰコリント15章20節

1.終りを見つめて

聖書が教える世の終わりを知っていても、私たちは日々の目の前のことに心を奪われてしまいがちです。しかし聖書は終わりを見つめることが、今を生きる力になると教えます。キリストを信じる者には、罪の赦しだけでなく、終わりの日の救いと勝利も約束されています。だから私たちは、神さまの約束を信じ、終わりを恐れるのではなく、そこにある希望によって今日を大切に歩めます。

2.初穂なるキリスト

キリストの復活は、キリストを信じる私たちの復活をも保証します。最初の収穫である初穂に続いて、後の収穫が続くように、初穂であるキリストの復活に続いて、信じる者も復活します。私たちの救いの確かさは、復活されたキリストにあります。信じる者は、罪赦されて神のものとされたことを確信できます。この先の世界における不安や恐れではなく、約束された希望を見ることができます。

3.キリストによる完成

この世の終わりには、キリストがすべての敵を打ち破り、最後には死さえも滅ぼされます。そこでキリストを信じる者は完全に聖められ、天の御国に迎えられます。そこには、もはや死も悲しみも苦しみもありません。信じて今を生きる私たちは、この希望によって、祈り、礼拝し、罪を避け、隣人を愛し、福音を伝えて歩むことができるのです。どんな苦しみの中でも、神さまが最後まで私たち守り、完全な者として御国に迎え入れてくださいます。

2026年10月11日 週報より

2026年10月4日日曜日

空しくならない信仰

聖書箇所 コリント人への第一の手紙15章12-19節

もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。Ⅰコリント15章14節

1.福音の選り好み

コリント教会の人々は、自分たちの考えや当時の文化に合わせて、福音の一部を受け入れ、一部を否定していました。しかし、福音は神さまから与えられた真理です。私たちが選り好みするようなものではありません。自分に都合のよいみ言葉だけを受け入れ、厳しく感じるみ言葉を避けることはできません。自分の考えをみ言葉の上に置かずに、神さまのみ言葉をそのまま受け取りましょう。

2.受け取るか拒むか

死人の復活を否定することは、キリストの復活を否定することにつながります。福音は、一部分だけを信じるものではありません。聖書のお言葉を理解しようとすることは大切です。しかし「自分ですべてを納得するまでは信じない」という姿勢ではなく、「今は分からないけれど、神さまが語られたので信じます」とみ言葉に信頼を置くことが大切です。

3.復活のない信仰の空しさ

私たちの救いは、キリストの十字架だけで終わるものではなく、キリストの復活と、私たち自身の復活にもつながっています。もし復活がなければ、私たちの信仰も空しいものとなってしまいます。信仰の土台は、私たちの気持ち、理解や納得ではなく、死からよみがえられたキリストです。福音を自分に合わせるのではなく、自分を福音に合わせて歩んでいきましょう。

2026年10月4日 週報より