2026年6月21日日曜日

敬われる父になる

聖書箇所 創世記258-10節、エペソ人への手紙61-4

父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。 エペソ人への手紙64

1.父の日

母の日と同じく、父の日も教会から始まりました。神さまは、子供が神さまを知り、神さまの喜ばれる歩みをするように父や母を立てられました。そのうえで「あなたの父と母とを敬え」と言われています。父の日は、父親への感謝を通して、いのちを与え導いてくださっている神さまに感謝する日です。両親を敬うことで、神さまに従い、神さまの祝福をいただくことができます。

2.父親アブラハム

信仰の父と呼ばれるアブラハムも決して完全な父親ではありませんでした。不信仰による過ちが家族に大きく影響します。しかし死の際には、母違いの子どもであるイサクとイシマエルが共に父アブラハムを葬りました。そこには葛藤を越えた和解の姿が見られます。聖書は父親の失敗や弱さを隠さず記しながらも、「父と母を敬え」と教え、人間の不完全さを超えた神さまの存在を示しています。

3.敬われる父

敬われる父とは、失敗しない完璧な父親ではなく、神さまの御言葉に聞き従う、また聞き従いたいと願う父親です。アブラハムが信仰の父と呼ばれるのは、神さまから過ちを指摘された時に素直に悔い改め、神さまに立ち返ったからです。父親は聖書に学び、失敗してもあきらめず神さまに従い続けることが大事です。その姿勢が子どもの信頼につながり、家庭を導く力となります。父の日に父親と神さまへの感謝を新たにいたしましょう。

2026621日 週報より

2026年6月14日日曜日

祝福ある献げもの

聖書箇所 コリント人への第一の手紙98-14

もしわたしたちが、あなたがたのために霊のものをまいたのなら、肉のものをあなたがたから刈りとるのは、行き過ぎだろうか。Ⅰコリント911

1.脱穀をする牛の話

パウロは、使徒が献金で支えられることは、「脱穀をする牛にくつこを掛けてはならない」と言われる神さまの定めだと言います。しかしパウロは自らの権利を主張するためにこの話をしたのではありません。神さまは福音を宣べ伝える者、またそれを支える信徒の両方を顧みておられるのです。それぞれがお互いに神さまに仕えるための恵みのしくみが献金であることを示していたのです。

2.霊をまいて肉を刈りとる

パウロは、御言葉を伝える働きを「霊のものをまく」と表現し、それに応えて信徒が献金などの「肉のもの」をささげることを神さまの定めとして語ります。献金は霊的奉仕者への報酬ではありません。信徒は神さまの恵みを受けた感謝を献げ、伝道者はみ言葉をもって仕えます。この関係が信仰によって受け入れるときにお互いともに神さまの祝福にあずかることになります。

3.献げものの意味

献金は、教会運営や伝道者の生活支援が目的ではなく、神さまへの感謝と献身のあらわれです。旧約時代、神さまへの献げものを神さまご自身が、祭司に分け与えられていました。献金も同様に神さまのものとして聖別され、神さまの御用のために用いられます。その一部が神さまからの恵みとして霊的奉仕者に与えられるのです。パウロは自らの権利を控えることで、コリント教会の人たちが神さまに心からの感謝と献身を献げられるよう導こうとしていました。

2026614日 週報より

2026年6月7日日曜日

自分の思いを越えて

聖書箇所 コリント人への第一の手紙91-7

あなたがたは、主にあるわたしの働きの実ではないか。Ⅰコリント91

1.反発を予想していたパウロ

パウロは、「偶像にささげられた肉を食べても信仰的には問題ないが、兄弟姉妹をつまずかせるなら控えるべきだ」と教えました。しかしコリント教会の人々の中に反発があることも予想していました。パウロの使徒としての権威や教えを疑う人々がいたからです。パウロは彼らが神さまへの信頼を回復し、聖霊によってみ言葉を受け取ることができるようにと願っていたのです。

2.自分の思いにとどまるコリントの人々

コリントの人々は自分たちの知識や考えにこだわり、人の弱さを語るパウロに違和感を抱くようになりました。自分の思いや感覚で判断していくと神さまの大きなご計画や祝福は受け取れなくなります。そうではなくて、自分の考えにこだわらずに素直にみ言葉を受け入れると信仰は成長していくのです。

3.使徒の権利を用いないパウロ

パウロには使徒として生活の支えを受ける権利がありましたが、それを用いませんでした。それは彼が使徒ではないからではなく、福音のため、そして人々をつまずかせないために敢えてそうしたのでした。肉を食べる自由を愛のために控えるのと同じように、自分の権利も愛のために手放しました。パウロは知識や正しさを主張するよりも愛の実践を大切にしたのです。神さまは私たちを「自分の権利」や「自分の正しさ」にこだわるのではなくて、相手のことを思って行動する歩みへと導こうとされているのです。

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