2026年2月8日日曜日

純粋で真実なパン

聖書箇所 コリント人への第一の手紙56-8

ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。コリント58

1.罪を軽く見ない

コリント教会は、罪を見過ごすことを「愛」と勘違いして、罪を軽く見ていました。私たちはキリストによってすべての罪を赦されていますが、罪を意識しなくてよいわけではありません。自分の罪深さと、そんな自分を赦してくださる主の恵みの大きさを知ることで、霊的に成長していくのです。

2.古いパン種

コリント教会の人たちが正しいと信じて誇っていたものは、罪への恐れや砕かれた心を欠いた思い込みにすぎませんでした。そんな高ぶりや誇りは、パンをふくらませるパン種のように信仰に悪影響を及ぼします。古いパン種とは、信仰を持つ前の古い人としての肉の思いからくる高ぶりや誇りです。自分には誇れるものは何もないとする砕かれた心を忘れると、自分だけでなく、教会全体の霊的成長をも妨げることになります。

3.古いパン種を取り除く

私たちは自分の力ではなく、キリストの十字架のみわざによって、古いパン種のない「純粋で真実なパン」とされています。しかし、その恵みを十分に受け取れていないとすぐに肉の思いが入り込みます。古いパン種を取り除くとは、自分を誇らず「純粋で真実なパン」とされたことを感謝して、神さまだけを見上げて歩むことです。日々、自分の中の高ぶりを点検し、古いパン種に注意して「純粋で真実なパン」として歩む大切さを教えられています。

2026年2月8日 週報より

2026年2月1日日曜日

罪を軽く見ない

聖書箇所 コリント人への第一の手紙51-5

むしろ、そんな行いをしている者が、あなたがたの中から 除かれねばならないことを思って、悲しむべきではないか。Ⅰコリント52

1.コリント教会の誤解

コリント教会では不品行の罪という問題がありました。しかし彼らはそれを黙認し、「人を裁かず、暖かい目で見守っている自分たちは正しい」と高ぶっていました。しかしパウロは、罪を罪として扱わず黙認するのは大きな問題だと指摘しています。罪は赦されますが、軽く見てはなりません。コリントの人たちは誤解していたのです。私たちは罪と正しく向き合う必要があります。

2.罪を憎む

聖書は、悔い改めるならすべての罪が赦されると教えています。しかし聖霊に逆らう罪は赦されません。聖霊は私たちに罪を示し、悔い改めへ導かれます。その働きを拒み続けることは最も恐ろしい罪なのです。私たちが罪を悔い改めて、聖さを保つようにしていなければ、罪が私たちを神さまから引き離してしまいます。自分の罪だけではなく、教会に入り込もうとする罪にも注意が必要です。

3.忠告の仕方

イエスさまは、罪に陥った兄弟に対し、段階を踏んで、愛をもって忠告するように教えられました(マタイ1815-17)。忠告の目的は裁くことではなく、その人が罪から解放され、立ち返ることです。悔い改めるなら何度でも赦されます。しかし罪を放置すれば、再び神さまの怒りの前に立たされることになります。教会が罪を見過ごしていると教会の聖さも失われていきます。私たちは、人を裁かずに罪を憎み、神さまを第一にすることが大切なのです。

202621日 週報より

2026年1月25日日曜日

言葉でなく、力によって

聖書箇所 コリント人への第一の手紙414-21

神の国は言葉ではなく、力である。Ⅰコリント420

1.父パウロ

パウロは、コリントの人々を責めたり恥をかかせたりするためではなく、愛する子を思う父の心で語っていました。彼らの歪みを、神さまのまなざしの中で共に見つめ直し、彼らが正しい信仰へと向かって欲しいとの思いがありました。厳しい言葉の背後には、コリントの人たちを子として愛する父としてのパウロの深い愛と導きがありました。

2.父の役割

パウロが自分を父と語ったのは、パウロ自身に注目させるためではありません。コリントの人々が福音の土台をしっかり築き、人に目を向けた派閥争いから、神さまに目を向ける信仰の歩みへと移されるためでした。そのために愛をもって彼らを支え続ける彼らの父としての役割を果たすパウロの姿が記されています。

3.私に倣う者

「私に倣いなさい」との勧めは、パウロの生き方そのものから信仰を学んでほしいという招きです。パウロは福音を語るだけでなく、生活の中で神の力に生かされて歩む姿を示してきました。そしてパウロは彼に倣ったテモテをコリントに遣わします。テモテを見てあなたがたも神さまの力を受けてくださいと願うのです。

私たちも聖霊にお言葉の理解を助けていただき、神さまの力をいただきましょう。そして先人にまた周囲のすばらしい信仰者に倣い、福音を単に言葉としてではなく、神さまの力として受けとめて歩んでまいりましょう。

2026125日 週報より