2025年2月2日日曜日

復活の信仰に生きる

聖書箇所 マルコによる福音書1218-27

神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。あなたがたは非常な思い違いをしている。マルコによる福音書1227

1.サドカイ人の思い違い

復活を信じないサドカイ人たちが登場します。そして次々に亡くなった兄弟7人全員が、律法の定めに従い1人の女性を妻にする話をします。「復活があるとすれば、7人が同時に1人の女性を妻に持つことになり、それは律法違反となるので復活はない」との主張です。イエスさまは、「復活は世の状況を引き継がない」と彼らの思い違いを指摘されます。理屈での理解は、信仰の歩みを妨げるのです。

2.永遠に生きる者の神

さらにイエスさまは、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコプの神」と現在形で語られているお言葉を引用されます。彼らは復活により永遠に生きる信仰者であって、神さまは彼らの神であり続けると言います。イエスさまを信じるだけで永遠のいのちが与えられ、イエスさまが神であり続けてくださるのです。

3.復活のイエスさまからの働きかけ

十字架で死んで葬られたイエスさまの復活は、誰も否定できない歴史の事実です。イエスさまを信じることは、復活を信じることです。イエスさまは天に戻られた今も私たちの生活のあらゆる面で共にいてくださり、支えつづけてくださっています。私たちはこの復活の信仰の中に生かされています。そしてやがて死も涙も痛みも叫びもない天国に帰るのです。これがこの世のどんな状況にあっても消えることのない私たち信仰者の希望なのです。

202522日 週報より

2025年1月26日日曜日

神のものを神に返す

聖書箇所 マルコによる福音書1213-17

するとイエスは言われた、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。彼らはイエスに驚嘆した。              マルコによる福音書1217

1.巧妙な策略

パリサイ人とヘロデ党の者たちが、「ローマ皇帝に納税してよいか」とイエスさまに尋ねます。もし「よい」と言えば、ローマの支配を認めユダヤの人々の反発を買います。逆に「いいえ」と答えれば、ローマ皇帝に敵対する者として訴えることができます。これはイエスさまを落としめるためのとても練られた策略だったのです。

2.デナリ銀貨

イエスさまの答えは、彼らが付け入る隙のないものでした。当時のデナリ銀貨にはローマ皇帝の肖像がありました。ユダヤの人々はその銀貨での納税は、皇帝を神とする不信仰だと考えていました。しかしイエスさまは「カイザルのものはカイザルに」と言われて、その考えを否定されました。イエスさまは彼らの策にはまらないためだけでなく、正しい信仰の在り方を教えておられたのです。

3.神のものは神に

イエスさまは彼らに対して、「あなたがたが神のものを神に返していないことが大きな問題である」と厳しい指摘をされているのです。では神にお返しするにはどうすればよいのでしょうか。それには、まずすべてが神さまによって与えられていると覚えて、神さまの前に立つことです。その上で聖霊の助けによって、何が神さまの御旨であるかを知り、神さまに喜ばれる選択をするようにします。これが神さまに栄光を帰して、神さまにお返ししていく歩みです。

2025126日 週報より

2025年1月19日日曜日

神のものを盗まない

聖書箇所 マルコによる福音書121-12

あなたがたは、この聖書の句を読んだことがないのか。『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。                                                                マルコによる福音書1210

1.非難された指導者たち

ここでイエスさまはたとえ話をされます。ある土地に所有者がぶどう園を作ります。ぶどうを守る垣根をはり、設備も整えて、農夫を雇ってそこからいくらかの利益を納めてもらおうとします。しかし雇われた農夫たちは、全部自分たちのものにしようと所有者の息子を殺してしまいます。イエスさまは、この農夫こそが今の指導者たちの姿だとたとえ話を用いて非難されたのでした。

2.大切な石を捨てた指導者たち

指導者たちには、ユダヤの人々を神さまに忠実に歩めるように導いて育てる責任がありました。しかし彼らはたとえ話の中の農夫のように、主人である神さまに背を向けて歩んでいたのです。イエスさまはそんな彼らに、「あなたがたは、『隅のかしら石』であるわたしを殺すようになる」と彼らの中に恐ろしい心があることも明らかにされていました。

3.神から盗んでいた指導者たち

指導者たちは神さまから預けられた人々を自分たちのいいようにしていました。こうして神さまのものを盗んでいたのです。私たちが与えられている信仰の歩みは、神さま所有のぶどう園そのものです。よい実を結ぶように任せられているのです。その実はすべて神さまのものなのですが、私たちが自分たちのものとして受ける分も与えてくださっています。これが恵みです。この恵みに心から感謝していれば、神さまのものを盗むことがない歩みができるのです。

2025119日 週報より