苦しまれたイエスさま
聖書箇所 マタイ16章21節、イザヤ53章3-5節他
彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。イザヤ書53章5節
1.苦しまれたイエスさま
イエスさまは十字架で苦しまれて死なれました。ここから「苦しみ」と「十字架の死」は、一つとして理解されていることが多いように思われます。しかし聖書は、イエスさまの「苦しみ」と「十字架での死」また「復活」にそれぞれ意味があることを明らかにしています。きょうはまず「イエスさまの苦しみ」についてみましょう。
2.イザヤの預言
イザヤは、イエス・キリストが侮られて苦しまれる必要があることを預言しています。十字架にかかる前にイエスさまは、ローマのむちで肉体的な苦しみを受けます。その後ローマの兵士たちから軽蔑され、ばかにされて、精神的苦痛をも受けられます。それは罪人である私たちが受けるべき苦しみをイエスさまが代わって受けてくださったものです。
3.苦しみの意味
聖書の示す罪とは犯罪に限定されません。真の神さまを神として敬わないことや人の持つ悪い心、また自己中心の思いも罪です。全ての人はこの罪を持っているので、神さまから罪の罰としての懲らしめと苦痛を受けなければなりません。イエスさまは、私たちの罪を赦すために私たちの代わりに十字架に架かられました。このイエスさまを信じることで私たちは罪が赦されます。しかし犯した罪のあと(結果)は残ります。そこでイエスさまは、罪の懲らしめをも私たちの代わりにお受けくださいました。イエスさまが「苦しみ」を受けてくださったので、私たちには平安が与えられているのです。
2025年4月6日 週報より