2025年1月12日日曜日

神にある権威

聖書箇所 マルコによる福音書1127-33

それで彼らは「わたしたちにはわかりません」と答えた。するとイエスは言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい」

                       マルコによる福音書1133

1.保身に走る指導者たち

イエスさまの言動の一つ一つは、祭司長たち指導者の権威を無視し、体制や組織を否定するものでした。そこで、彼らは、自分たちの立場を守るために、イエスさまを責めようとしました。人には自己保身に走る弱さがあります。すべて正しい神さまにお任せして、その弱さに流されない高潔さを持たせていただくことが大切です。

2.人を誇る指導者たち

指導者たちはイエスさまに対して「あなたは最高指導部から承認のないにせ者教師にすぎない」と問い詰めようとしました。組織は、人々を効率よく導くよい手立てとなるものです。しかし指導者たちの組織は神さまに仕えるという目的から外れていました。人の思いを満足させ、人を誇るものとなっていました。私たちも人だけに仕える教会になることのないように注意しておく必要があります。

3.追い込まれた指導者たち

指導者たちは追い込まれていました。ヨハネのバプテスマが神の権威によるとすれば、「なぜヨハネに従わなかったのか」と問われるでしょう。一方、人の権威だと言えば多くの民を敵にまわします。民の多くが、ヨハネにある神の権威を認めていたからです。彼らは、答えをごまかしました。私たちにも自分に都合の良い考えを信仰だとしてしまう弱さがあります。神の権威の前には自分の思いなど何の値もないと認めること、そして神さまに従わせてくださいと常に心から願い求めて、神の権威を恐れる歩みが大事なのです。

2025112日 週報より

2025年1月5日日曜日

祈りの姿勢

聖書箇所 マルコによる福音書1120-26

イエスは答えて言われた、「神を信じなさい」。      マルコによる福音書1122

1.弟子たちへの教え

実は弟子たちの中にも目に見える神殿そのものを信仰するような部分がありました。イエスさまはそんな弟子たちの危うい信仰を見えない神さまに向かう信仰に入れ替えようとして教えをされています。私たちもイエスさまにどこまでも信頼していくなら、見えない神さまに信頼する信仰の土台を神さまが備えてくださいます。

2.信仰で祈る

ここでイエスさまは、神さまの全能の御力への信頼をもって祈る大切さを示されています。それは「人にはできない事も、神にはできる(ルカ18:27)」と、私たちには思いも及ばないところにも働く神さまの無限の御力を信頼することです。つまり祈りは言葉によってではなく、信仰で祈るものです。それも絶対的信頼で祈るのが祈りだと教えられています。

3.祈った後の信仰

祈った時点ですでに神さまがかなえてくださっていると信じたならば、疑ったり、思いわずらったりすることはなくなります。神さまは時間を超越したお方であるので、神さまの目から見れば、将来のこともすべてが今の出来事のようにかなえられています。神さまが御心の内に、祈ったすべてを実現されると確信することができれば、祈った後も疑うことなくすべて神さまにお任せできるでしょう。この祈りの姿勢が、神さまの望まれる信仰者の姿勢であることを教えられています。

202415日 週報より 

2025年1月1日水曜日

お言葉をそのまま受け取る

聖書箇所 ローマ人への手紙108

言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある。        ローマ人への手紙108

1.パウロの願い

パウロはユダヤ人でしたが、異邦人の救いのために遣わされました。そして、同じユダヤ人の救いをも心から願っていました。ユダヤ人たちは律法を守るための決まりを自分たちでたくさんつくり、それをひたすら守っていたのです。しかしパウロは、律法を守るという行いによる義ではなくて、救い主イエスさまを信じて、信仰による義へと彼らを導こうとしていました。

2.パウロの導き

パウロは「イエス・キリストが十字架の死によって神の義をいただける道を備えてくださいました。そのイエス・キリストを信じるだけです。そうすれば神の前に義とされます。人の頑張りや律法を守ることで神の義を得ようとする必要はありません。神さまに心を向けていれば、神さまの前に義として歩むことができるように神さまがしてくださいます」と言っています。

3.私たちへの導き

ユダヤ人たちの間違いの始まりは、神さまのお言葉を頭で理解し納得しようとしたことでした。これに対してパウロは、「神さまからのお言葉は私たちのそばにあり、私たちの口にあり、私たちの心にあって、それを行うことができるように神さまが力をくださるのです」と言います。近くにあるお言葉を遠くしているのは、世的な考えや自分の頭で納得したいと思う思いなのです。私たちも聖霊のお導きをいただきながら、お言葉を素直に受け取りましょう。お言葉を身近なものとして新しい一年を歩んで参りましょう。

02511日 元日礼拝プログラムより