2024年9月8日日曜日

エリヤやモーセよりも

聖書箇所 マルコによる福音書92-8

そして、その雲の中から声があった、「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。     マルコによる福音書97

1.光り輝く神イエス

イエスさまは、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子だけを連れて、高い山に登られました。ここでイエスさまは、これまで弟子たちが見ることのできなかった神としてのまばゆく光り輝く姿をあらわされました。弟子たちの信仰は、人としてのイエスさまに頼るばかりで、神であられることには焦点が合っていませんでした。そこでイエスさまは、三人の弟子たちにはっきりと神のお姿を示されたのです。

2.恵みの時代の幕開け

この時ペテロは、預言者エリヤと指導者モーセの姿を見ます。この二人は旧約時代の神と民との契約を代表していました。そして新しい契約者イエス・キリストへの切り替わりを意味していたのだと考えられます。これは神さまの恵み豊かな福音時代の幕開けを示すものでした。イエスさまは、この経験を三人の弟子だけに限定されました。彼らは今すぐには理解できなくても、この先霊の目が開かれて理解できるようになることをイエスさまはご存じでした。

3.イエスさまを仰ぎ見る

ペテロは肉の思いで、エリヤとモーセに夢中になっていました。そこに「これはわたしの愛する子である。これに聞け」との神さまの声が聞こえてきます。これはイエスさまに心を向けていくようにとの示しでした。信仰の導き手であり、完成者であるイエスさまを仰ぎ見て進むのが私たち信仰者の歩みです。このお方こそ私を罪から救ってくださった神さまだと信じきるのです。こうして神であるイエスさまに焦点を合わせて進むならば、他のすべてのことにおいても、神にあって正しく見、判断して行動できるようになります。

202498日 週報より 

2024年9月1日日曜日

主に従う喜び

聖書箇所 マルコによる福音書834-91

彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。                               マルコによる福音書834

1.自分を捨てる

イエスさまが「自分を捨て」と言われた「自分」とは、先にペテロが失敗した原因となったものでした。それは自制できない人間的な思いや感情です。それらは肉の思いから来ます。イエスさまは「まず自分の中にある肉の思いを捨てることが大切なのです。」と言っておられます。それには前回私たちが見た、いつも上にあるものを思って神さまのご支配くださる領域を広げることが助けになります。

2.自分の十字架

この十字架は、信じた一人一人に神さまが与えておられる役割のことです。それを忠実に果たしていくことが、「自分の十字架を負う」の意味です。神さまが信じた私たちに求めておられるのは、人を救う神さまのご計画を進めていくことです。それはイエスさまが再び来られる時まで、イエスさまの十字架の死と復活を告げ知らせていくことです。十字架や役割と言うと構えてしまうかもしれませんが、それぞれに置かれた場所での証しと捉えれば良いのではないでしょうか。

3.主に従う理由

35節以降は、自分の十字架を負うことがイエスさまに従う条件となる理由です。世の人々が肉の思いで努力して必死で求め、最高の幸せを得ようとする人生では本当の人の幸せはやって来ません。それは神さまを無視し、神さまに従順に生きようとしないからです。そして人としての尊厳が失われ、人を顧みずに自分の幸福や利益だけを追求します。そうではなくて、日々イエスさまに従うことで、本来の人らしく歩ませていただける喜びを日々味わう者とされましょう。


202491日 週報より

2024年8月25日日曜日

上にあるもの

聖書箇所 マルコによる福音書822-33

「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。 

                                                                                      マルコによる福音書833

1.二回のいやし

盲人ははじめの癒しで、ぼんやり見えるようになりました。これは、真理をぼんやりながらも理解できている弟子たちの様子をあらわしていました。次の癒しで盲人は、はっきり見えるようになります。弟子たちも同じように、この後イエスさまの上からの力によって真理をはっきりと悟るようにされるのです。神さまは私たちにもそれぞれの信仰の状況に応じて導いてくださいます。上からの力で、更によく見えるようにしてくださるのです。

2.ペテロの信仰告白

イエスさまは、質問することによって弟子たちの信仰をさらに引き上げようとされます。ご自身の評判を尋ねたあとに「それではあなたがたはわたしを誰だといいますか」と鋭い質問をされました。この時ペテロは「神が約束された救い主で、神であるお方(つまりキリスト)です」と答えます。このペテロの信仰告白は、彼の知恵や判断ではなくて、神さまが語らせてくださったものでした(マタイ16:17)。

3.上にあるものを思う

イエスさまはこれから受けるべきことを弟子たちに話されました。イエスさまをいさめたペテロは、イエスさまから激しいおしかりの言葉を受けます。この時のペテロと同じように、私たちの口からも信仰による言葉もまた、信仰によらない言葉も出ます。このせめぎ合いから抜け出すには、聖霊に助けによって、いつも上にあるものを思うことです。今日の3つの話は一見バラバラに見えます。ですが私たちが上にあるものを思う時、神さまのご支配くださる領域が広がり、サタンが押し出されていくことを教えられているのです。

2024825日 週報より