2024年10月27日日曜日

神の国にはいる人

聖書箇所 マルコによる福音書1013-16

よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない。                                         マルコによる福音書1015

1.子供と親を戒めた弟子たち

弟子たちは、幼な子をイエスさまのもとに連れてきた人々(おそらく父親たち)に注意します。当時の社会は子供を価値のない、やっかいものと見ていました。まだ一人の人格として認められておらず、未熟な人間とされていました。弟子たちの目にも子どもはイエスさまから祝福をいただく価値のない存在に映っていました。そこで何の疑問をも持たずに、イエスさまをわずらわせないようにと彼らに注意を与えたのです。

2.激しく叱られた弟子たち

しかし弟子たちはイエスさまから激しく叱られます。イエスさまは、子供たちの信仰が育まれていくことの必要を見ておられたからです。神の国に受け入れられる大人も同じです。信仰は、世の常識や固定観念に縛られた大人のかたくなな心ではなくて、子供のように素直な心で受け止めることが大切です。そうすれば神さまによって祝福されて、信仰が育てられていくのです。

3.世的な考えに縛られた弟子たち

この世的な考えや認識だけでいっぱいになっている状況だと、霊的な知恵を悟ることもまた、それを素直に受け入れることもできなくなります。そうならないためにも信仰者には聖霊が与えられています。神さまがみ言葉によって、聖霊の働きを通し、世の常識とは違う神さまのお心に気づかせてくださるのです。まだまだ霊的には幼な子のように未熟だと認めて、イエスさまに頼る者を神さまはご自身の神の国に招き入れてくださるのです。

2024102427日 週報より 

2024年10月20日日曜日

あなたに求められていること

聖書箇所 マルコによる福音書101-12

そこでイエスは言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、あなたがたのためにこの定めを書いたのである。             マルコによる福音書105

1.パリサイ人たちのたくらみ

イエスさまたちは、ヘロデ・アンティパスの領地にいます。彼は兄弟の妻と結婚し、バプテスマのヨハネから律法違反であると指摘されていました。パリサイ人たちは夫が妻を離縁することが律法にかなうかどうか質問しています。イエスさまが「かなわない」と言えばヘロデを非難し、「かなう」と言えば、ヨハネが間違っていたということになります。彼らはイエスさまを責める口実を欲していました。

2.パリサイ人たちへの導き

イエスさまは彼らのたくらみを知りながらも、彼らの心を神さまに向くようにされています。彼らには、「離縁状を書けば、離縁できる」との確信がありました。そんな彼らに対して、神さまが求めておられるのは、人が創造のはじめに定められたように夫婦が一体となることだと教えられます。「単なる結婚、離婚の問題ではありません。神さまのお心を大事に思えないのは、神さまのみ前に生きていない者なのです」とパリサイ人たちの思い違いを指摘されたのです。

3.弟子たちへの導き

イエスさまは弟子たちに、夫婦は神さまの深いご計画と導きによって結び合わされたものだと示されます。神さまが合わせられたものを、人が離そうとする時、神の御心に逆らう罪が示されます。イエスさまはここで、独身や離婚を否定しているのではありません。まず神さまのお心を真理として受けとるようにと言われています。そして示される罪が明らかになれば、悔改めて真理に歩めるようにと願いつつ神さまに心を向けて歩むことの大切さを教えられているのです。

20241020日 週報より 

2024年10月13日日曜日

塩気を保つとは

聖書箇所 マルコによる福音書938-50

あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎ なさい。                                                                                                                    マルコによる福音書950

1.自分中心への戒め

ここでイエスさまは、弟子たちが自分中心に考える肉の思いから解放されるように、そして信仰の原則に立って神さま中心に物事を観て判断するようにと教えられています。私たちも神さま中心の見方をすることが大切です。神さまがご自身の計画の中で私たちにそれぞれの役割を与えておられるからです。これを覚えて歩む私たちを神さまが喜んでくださり、私たちを守り導いて用いてくださいます。

2.肉の思いへの戒め

手足を切り捨てるとか、目を抜き出せとか、衝撃的なことばに目が留まります。しかしイエスさまが伝えようとされているのは、肉の思いを軽く見てはいけないということです。前の箇所で弟子たちは誰が一番偉いかと議論していました。今日の所では自分たちだけが正当な弟子だと高ぶっています。彼らの心は肉の思いに支配されていました。イエスさまはここで「地獄」と言われています。「地獄」の恐さに震える以上に肉の思いの恐さに警戒していないと、「地獄」に投げ入れられるごとくにすべてが無駄になると強く戒めておられるのです。

3.塩気を失くすことへの戒め

イエスさまは最後に塩の話をされています。ここでの塩とは神さまの御心に対する全き信頼です。この塩の塩気、神さまへの信頼を削り取ってしまうのが、私たちの肉の思いなのです。いつまでも肉の思いを喜ばせることばかりに心を向けていれば、神さまへの信頼は薄れて、塩気を失い、かたちだけの信仰となってしまうのです。さらにこの塩気が、自分や他の信仰者をつまずかせずに互いに和らぐためにも大切であることを教えられています。

20241013日 週報より