2024年12月22日日曜日

 イエスの母マリヤ

聖書箇所 ルカによる福音書1章26-38節

すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。                                                                                ルカによる福音書1章30節

1.イエスの母マリヤ

ヨセフと婚約したマリヤには大変なことが起きていました。結婚生活はまだでしたが、その前に神さまによって赤ちゃんが与えられたのです。当時、結婚前に子供ができた女性は石打で殺されなければならないきまりでした。マリヤは誰にも打ち明けられず、大きな恐れと不安の中にあったでしょう。しかしマリヤは、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです」。との天使に言葉をよく聞いてそれを素直に受けとめていました。

2.思いめぐらすマリヤ

マリヤはこの不思議を受け入れて思いめぐらせていました。そして冷静に天使に尋ねています。天使は、「お腹の子は聖霊によるもので、神さまにできないことはありません。親類のエリサベツも不妊の女性でしたが、年老いて子供が与えらました」と、マリヤの疑問にこたえながら、エリサベツという信じるためのしるしもくださいました。人の知恵、経験、理屈ではなくて、神さまからのお言葉を素直に受けとることの大切さが示されています。

3.励まされたマリヤ

マリヤは早速エリサベツに会いに行きます。するとエリサベツから神さまの言葉を伝えられます。マリヤは、もうすぐ「神の子・救い主」の母親になるのです。そして「主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」と励ましも与えられました。マリヤは恐れずに、神さまを信頼して恵みをいただきました。神さまの言葉を素直に受け入れて、信頼していく時に、恐れは平安にそして祝福に必ず変えられます。

2024年12月22日 週報より

2024年12月15日日曜日

クリスマスメッセージ 御手の守り

聖書箇所 ルカによる福音書1章5-25

するとザカリヤは御使に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。         ルカによる福音書1章18節

1.ザカリヤの背景

ローマの支配に苦しむ人々は、神さまが約束された救い主の訪れを待ち望んでいました。祭司であるザカリヤ夫妻は、律法の決まりを守り行う「神のみまえに正しい人」たちでした。しかし二人には子供はおらず、すでに年老いていました。祭司職は世襲制で、男の子供以外には引き継げません。ザカリヤの願いと祈りは、救い主の訪れによるイスラエルの平和と我が子の誕生であったでしょう。

2.ザカリヤの恐れと不信仰

彼が聖所で務めをしていると突然、御使い(天使)があらわれます。御使いは、恐れるザカリヤに男の子の誕生を告げます。しかし彼は信じられず、口をきけなくされます。彼の恐れや不信仰はどこから来たのでしょうか。それは神さまに仕えながらも心が神さまに向かず、子供の誕生を祈りながらも「もう無理」と思い込んでいたからでしょう。世的な肉の思いが彼の信仰を覆っていたのです。

3.ザカリヤの賛美

口がきけない苦しみの日々でも、彼は妻のお腹が少しずつ大きくなるのを見ます。彼はそこに神さまのあわれみと恵みを見続けました。やがて彼の口が開かれた時、恐れや苦しみによる恨み言ではなく、神を賛美する言葉が出ます。私たちもそれぞれにその人なりの恐れや苦しみがあります。しかし私たちは、それが全て益とされる神さまのご計画であり、御手の守りの中にあると信じることが大切です。そうすれば恐れ、辛さに悩む心が平安に変えられます。

2024年12月15日 週報より

 

2024年12月8日日曜日

エルサレム入場

聖書箇所 マルコによる福音書111-11

そこで、弟子たちは、そのろばの子をイエスのところに引いてきて、自分たちの上着をそれに投げかけると、イエスはその上にお乗りになった。    マルコによる福音書117

1.神さまの弟子として

村から子ろばを引いてくるように言われた弟子たちは、すべてイエスさまの言われたとおりになったことを経験しました。イエスさまが、先を見通す神さまの力を見せられたのです。ここまで弟子たちは人としてのイエスさまに多くを頼ってきました。しかし、エルサレムに向かう今、神としてのイエスさまに従う弟子となるのだと教えられたのです。

2.王としてのエルサレム入場

人々はイエスさまのために上着や木の小枝で王の道を用意しました。彼らの期待は、力によってローマを追い出し、ダビデの王国を再建する王でした。しかしこの時のイエスさまは、十字架にかかり苦難を通る王として来られていました。まもなく人々は、このお方を王であり救い主だと認めるのか、それとも捨て去るのかの選択を迫られることになります。

3.平和の君として

戦争に用いられる馬とは違い、ろばは平和の象徴です。イエスさまは、ご自分のいのちを十字架に献げることで、私たちに神さまとの平和の道を用意してくださいました。平和の君であるイエスさまを受け入れる者にこの世では得られない平安が与えられます。このイエスさまを受け入れるのか、拒むのかを全ての人が問われているのです。信じた私たちは、「全て明け渡します。あなたのお心のままになさってください」とイエスさまに自分をお委ねいたしましょう。

2024128日 週報より