宗教の勘違い~思い込みから正しい理解へ
人は神、仏の前に裁きを受けるのか
聖書箇所 ヨハネによる福音書14章1-6節
ここでは「善悪に基づく裁き」について、宗教的・思想的な視点から深く考察して語られました。冒頭では天秤座の神話を通じて、善悪の判断と裁きの象徴性が紹介され、人間の本性について中国思想の性善説・性悪説・混合説の三つの立場が示されます。現代社会の例として、企業の会計不正が性善説に基づく制度設計の甘さに起因することが指摘されました。聖書の「金銭を愛することはすべての悪の根源」という教えが引用され、人間の罪の性質が強調されました。
仏教における裁きの概念として、閻魔大王による死後の裁きと六道輪廻が説明され、地獄道から天道までの六つの世界への転生が、生前の行いによって決定されるとされます。また、庚申講の習慣では、三しの虫が人の罪を天帝に報告するという信仰が紹介され、仏教においても裁きの存在が明確であることが示されます。
一方、キリスト教では、ヘブル人への手紙に基づき、人は一度死に、その後神の裁きを受けるとされます。しかしキリストが人々の罪を背負って十字架にかかったことにより、信じる者には裁きではなく救いが与えられると説かれます。結論として、善悪の行いではなく、キリストへの信仰こそが救いの鍵であり、魂の永遠の行き先を左右する重要な教えであると結づけられました。