2026年3月22日日曜日

苦しまれたイエスさま

聖書箇所 イザヤ書533-5

彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。イザヤ書535

1.イエスさまの苦しみ

イエスさまは、ご自身が多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえることを繰り返し弟子たちに教えられています。それはイエスさまの十字架の死だけでなく、その前に受けられた苦しみにも大きな意味があることを示しています。イエスさまがどのような苦しみを受けられたのかを聖書から見ていきましょう。

2.イザヤの預言

イザヤ書53章では、救い主イエスさまが人々にあざけられ、苦しみを受けることが預言されています。預言のとおりにイエスさまは、ローマの鞭で打たれ、いばらの冠をかぶせられ、あざけられ、激しい肉体的・精神的苦痛を受けられました。これは人の罪である残忍さと愚かさのあらわれでした。それと同時にイエスさまが罪あるすべての人の身代わりに罰を受けるためでもありました。

3.苦しみの意味

イエスさまの受けられた苦しみは、本来罪ある人が受けるべき神さまからの罰と懲らしめでした。すべての人は神さまの前に罪があり、そのため神さまからの懲らしめによる苦しみを罰として受けなければなりませんでした。しかし神さまは人に対して、御子イエスさまの十字架の死による罪の赦しを与えてくださいました。また、人が受けるべき罪による苦しみをすべてイエスさまに負わせられました。私たちはこの恵みによって神さまとの平和を確信し、心に平安が与えられて、神さまを信頼して歩むことができるのです。

2026322日 週報より

2026年3月15日日曜日

私のように~パウロの願い

聖書箇所 コリント人への第一の手紙71-7

わたしとしては、みんなの者がわたし自身のようになってほしい。Ⅰコリント77

1.質問の背景

コリントの町は港町として栄え、宗教や文化が混ざり合う中で、性的な乱れが当たり前のようになっていました。その影響は教会にも及び、信仰を持ってもそれを軽く考える人がいました。一方で、性的なことがらすべてを汚れと考える人もいました。彼らのこのような教会内での理解の違いが、放置できない問題となっていました。そこでパウロに質問が送られたのです。

2.質問への答え

パウロは、性的なことがらを避けて生きられるならそれも良いと言います。しかしそれを否定しているのではありません。性的なことも神さまによって与えられた恵みであり、結婚した夫婦の間で大切に用いられるものだからです。結婚していても独身であっても、それが神さまに与えられた賜物だと受け取って、神さまを第一にして仕えていくことが大切なのだとパウロは説明しています。

3.限定的恵み

私たちは神さまから多くの恵みを与えられています。ですが私たちはそのすべてを同じように用いる必要はありません。性的なことについては、結婚という枠の中で「限定された神の恵み」であることを覚える必要があります。世には夫婦の枠を超えさせようとする多くの誘惑があります。これは世がサタンの支配であることを明確にしています。信仰者は、与えられた恵みを正しく用い、神さまのことを第一にして喜ばれる歩みをすることが大切なのです。

2026315日 週報より

2026年3月8日日曜日

主と一つの霊で歩む

聖書箇所 コリント人への第一の手紙612-20

しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。Ⅰコリント617

1.キリスト者の自由

コリントの人々は「キリスト者の自由」を、自分の好きなように生きてよいという意味に取り違えていました。しかしパウロは、罪に振り回されるのは自由ではないと言っています。本当の自由とは、罪から解放され、聖霊に導かれて歩むことです。肉の思いで世的なものにとらわれて、右往左往する状況は真の自由とは言えません。

2.神に用いられる道具

私たちのからだはもともと、罪に用いられる道具でした。しかしキリストのいのち(十字架の犠牲)によって、神さまに用いられる道具へと変えられたのです。そのからだを不品行に用いることは、神さまが尊い犠牲で買いもどしてくださったからだを汚すことになるのです。信じた私たちのからだは、神さま用の道具というだけでなく、すでにキリストのからだの一部分とされているのです。

3.主()と一つの霊

「食物は腹のため、腹は食物のためである」とは両者の密接な関係を示す例として取りあげられています。それと同じように、イエスさまを信じて救われた私たちのからだは、主である神さまのものとされて切り離すことのできない関係だというのです。「主と一つの霊」とされている私たちのからだは、不品行のためではなく、主である神さまのためにあります。それぞれのせいいっぱいで、自分の全存在を神さま用として差し出して、できることを忠実になしていく、これが神さまの栄光を現す生き方となるのです。

202638日 週報より