2026年5月31日日曜日

愛の配慮で歩む

聖書箇所 コリント人への第一の手紙87-13

だから、もし食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて肉を食べることはしない。コリント813

1.愛の心で

コリント教会の人々は知識を重んじていましたが、兄弟姉妹を愛する心に欠けるところがありました。パウロは、信仰の知識だけでなく、弱い人への配慮を持つことの大切さを教えています。私たちの言葉や行動は周りに影響を与えるため、弱い人をつまずかせないために愛の心で配慮していくことの大切さが教えられています。

2.周りへの影響

信仰の弱い人は、周りの兄姉の姿を見ながら学んでいきます。そのため、信仰の先輩の言葉や行動が、良くも悪くも大きな影響を与えます。自分では問題ないと思うことでも、他の人にはつまずきとなることがあります。私たちはよく注意して、世の習慣に流されず、良い証しを意識して歩む必要があります。

3.弱い人のためにも

キリストは、弱く未熟な人のためにも十字架にかかってくださいました。だから私たちも、弱い人たちをつまずかないように、愛をもって配慮することが大切です。私たちは、一人一人弱いところ、また強いところがあります。また、その時々に強い時、弱い時もあるでしょう。そして弱さを覚えてイエスさまに頼れば強くされますし、また強いと思って高ぶればかえって弱くもなります。ということで、私たちは誰が強いか弱いかではなく、誰もが互いに愛し合う、愛の心をもって配慮し合う必要があることを教えられています。

2026531日 週報より

2026年5月24日日曜日

神のもとに帰る群れ

聖書箇所 コリント人への第一の手紙81-6

わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。Ⅰコリント86

1.「愛」という判断基準

コリント教会では、偶像に供えられた肉を食べてもよいかが問題になっていました。人々は知識によって「偶像には実体がない」と理解していました。ここでパウロは「愛」を土台に考えるべきだと教えます。知識だけでは人は高ぶり、群れを傷つけてしまいます。しかし聖霊の助けをいただいて、回りの人々への配慮と愛の心で判断すれば、正しい答えが導かれるとパウロは言います。

2.偶像の背後で働く悪霊

偶像そのものに力はなく、偶像の神に振り回される必要がないというのは知識においては正しいのです。しかしそこに働く悪霊が人や物を汚している事実を忘れてはならないとパウロは言います。

私たちは知識だけで「問題ない」と軽く考えるのではなく、人を神さまから引き離そうとする霊的な現状に注意する必要があると教えられているのです。

3.神に帰する私たち

福音によって私たちは、唯一の神こそが本来帰る場所だと知らされています。神のもとにある時、人は本当の平安を得ることができます。しかしコリント教会では、個人の信仰はあっても、群れとして互いを愛し支え合う姿が弱く、分裂や争いが起きていました。   パウロは、聖霊によって一人一人の愛の配慮が育つことを願っていました。そうなれば、教会は群れとして神さまのもとに落ち着く場所を見出して、神さまの愛と平安に満たされた群れとされるのです。

2026524日 週報より

2026年5月17日日曜日

神の満たしを求める幸い

聖書箇所 コリント人への第一の手紙736-40

しかし、わたしの意見では、そのままでいたなら、もっと幸福である。 Ⅰコリント740

1.父親からの質問

ある父親が娘の結婚について悩んでいました。当時コリント教会には見合う相手がおらず、信仰のない男性と結婚させなければならない状況があったと想像されます。父親は、娘はまだ若く、信仰にも幼いところがあって、未信者との結婚が信仰の妨げになると考えたのでしょう。この父親の悩みに対するパウロの答えとその真意を見ていきましょう。

2.パウロの回答

パウロは、結婚するかしないかを一律に命じるのではなく、主に信頼して決断することを勧めました。娘の将来を人の知恵だけで守ろうとしても、不安は消えません。だからこそ、自分自身がまず主にゆだねる信仰に立ち、その姿を家族に示し続けることが大切だと語ります。結果が見えなくてまだ何も分からない中でも、主の守りと導きを信じて平安を得ていくこと、それが信仰者の歩みなのです。

3.パウロの本心

パウロが本当に伝えたかったのは、「結婚か独身か」ではなく、神さまによって満たされる生き方でした。人は仕事やお金、人間関係など世の不足を懸命に埋めようとします。ですが、神さまはそれ以上の霊的な満たしを与えてくださるお方です。満ち足りた生活を世のものに求めていくのではなくて、神さまを第一にして歩んでほしい、世の満たしによる安心を求めるのではなく、霊によって満たされる幸いを経験してほしいとパウロは願っていました。

2026517日 週報より