2025年12月14日日曜日

神のご計画を受け入れたマリヤ

聖書箇所 ルカによる福音書126-38

そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉 どおりこの身に成りますように」。ルカによる福音書138

1.奇跡を受け入れたマリヤ

マリヤは結婚前にもかかわらず、突然御使いから「聖霊によって子どもが与えられる」と告げられます。御使いは、年老いたエリサベツに子どもが与えられた事実を示し、「神には不可能はない」と伝えます。マリヤはエリサベツのことを思い、自分に起きていることも神さまの御業として受け入れました。そして神さまを全面的に信頼する信仰を示しました。

2.神さまに委ねて進むマリヤ

結婚前のマリヤは妊娠が知られると死刑になる危険がありました。婚約者ヨセフのことや将来のこともとても心配です。しかし彼女は不安を訴えるより、御使いの「主があなたと共におられます」という言葉を握りしめ、神さまに委ねる道を選びました。この後マリヤはエリサベツを訪ね、彼女から大きな励ましを受けます。そしてすべてを受け入れ、神さまを賛美して前に進む決心を固めます。

3.神さまのご計画を一番にしたマリヤ

マリヤは危険と不安を抱えながらも、「お言葉どおりこの身に成りますように」と告白し、神さまのご計画を優先しました。死の危険に直面しながらも、神さまに従う姿勢を貫きます。神さまはマリヤのように神さまのご計画を一番とする者に豊かに応え、必要を満たしてくださいます。私たちも神さまによって救われ、神さまのご計画に置かれています。自分の弱さを恐れずに、御心を一番として従えば、想像もできないような祝福が与えられます。

20251214日週報より

2025年12月7日日曜日

神のご計画に導かれて

聖書箇所 ルカによる福音書15-25

「主は、今わたしを心にかけてくださって、人々の間からわたしの恥を取り除くために、こうしてくださいました」と言った。ルカによる福音書125

1.祭司ザカリヤ

イスラエルの人々は、長い支配と税に苦しんでいました。人々は聖書に約束されている救い主と預言者エリヤの再来を待ち望んでいました。祭司ザカリヤと妻エリサベツは敬虔な祭司の家系でした。しかし高齢になっても子どもが与えられず、それが重荷となっていました。そしてザカリヤには、戸惑いやあきらめが生じていました。

2.ザカリヤの不信仰

ザカリヤは御使いから、エリヤの再来となる男の子の誕生を知らされます。彼は神さまの前に正しく、十分な聖書の知識もありました。しかし信じられませんでした。彼の口がきけなくなったのは罰ではなく、神のご計画を悟るための神さまのあわれみでした。私たちに起こる好ましくない出来事も、神さまの祝福につながる神のご計画です。神さまを信頼し、受け入れるように招かれているのです。

3.ザカリヤの確信

ザカリヤは妻エリサベツのお腹が大きくなるのを見ながら、神のご計画と導きを確信していきました。子どもが与えられて「恥が取り除かれた」と語るエリサベツの姿も、神の深いあわれみを示しています。人生の苦しみにも一人ひとりへの神のご計画があります。祈りによって神さまに近づく時、恐れは平安に変えられます。そして神の御子イエスさまが私たちの重荷を負ってくださいます。そんなイエスさまのご降誕を祝うクリスマスをともに喜びましょう。

2025127日 週報より

2025年11月30日日曜日

どういうふうに建てるか

 

聖書箇所 コリント人への第一の手紙3章10-17節


なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。コリント人への第一の手紙311

1.土台をすえたパウロ

 パウロは、イエス・キリストという確かな土台をすえるように根気強く教えました。しかしコリントの人たちは、それをよく理解しないまま放置して大切にせず、彼らの土台は崩れていました。その結果、霊的に成長せず、肉の思いで派閥争いをし、教会全体に混乱を招いていたのです。パウロは霊による歩みを忘れた彼らの姿を深く悲しみ、彼らの根本的な問題を明らかにしています。

2.気をつけて建てる

 キリストという土台にどのような信仰の家を建てるかは、信仰者一人一人に任されています。様々な教えや導きを受けて建てても、神のみ心に沿わない建物は、終わりの日には残らないとパウロは警告します。私たちはまず、キリストという土台に立ち、肉の思いではなく、神さまの言葉と聖霊によって歩むことで、神さまに祝福される信仰の家を建て上げることができるのです。

3.神の宮である群

 教会は、聖霊が共に住まわれ、群れ全体がキリストの土台に立つ「神の宮」です。しかしコリントでは、派閥争いが聖霊の働きを妨げて群れを弱らせていました。パウロは、この群れを乱す歩みは、大切な土台さえ失う大きな危険があると警告しています。私たちは、聖霊の導きに従って一致する、神の宮に相応しい群れでしょうか。まずは、一人一人が自分の思いに流されていないかを顧みましょう。