2026年2月22日日曜日

御心をわきまえ知る

聖書箇所 Ⅰコリント61-6

わたしがこう言うのは、あなたがたをはずかしめるためである。Ⅰコリント65

1.裁判所への訴え

教会の中の小さな争いを、すぐに世の裁判に持ち出してしまうのは、信仰者らしい姿ではないとパウロは言います。信じた者には聖霊によって、神さまの思いに従って考える力が与えられています。それなのに世のやり方ばかりに頼るのは、霊の人として成長していない姿だとパウロは指摘しているのです。

2.わきまえ知る

「わきまえ知る」とは、何が神さまに喜ばれることかを見分けることです。これは自分の努力だけではできません。聖霊が心を新しくしてくださるとき、私たちは神さまの御心を知り、それに従うことができるようになります。毎日の生活の中で、霊的な判断を基準にして歩むことが大切なのです。

3.恥ずかしくない者

教会の問題を世に持ち出しても恥ずかしいと感じないのは、霊的に鈍くなっているしるしです。霊的に判断をしていくとは、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれかつ全きことであるかを知って、従っていくということです。この力は聖霊の助けによって与えられます。神さまの前にへりくだり、聖霊を意識する歩みが、私たちを霊的に整え、心を新しくするのです。そして考え方、生き方、判断力、意志、感情などのすべてが、この世的なものから、遠ざけられていきます。それがこの世を超越した、神さまの喜ばれる信仰者の姿なのです。

2026222日 週報より

2026年2月15日日曜日

罪に目を向けて

聖書箇所 コリント人への第一の手紙59-13

その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。Ⅰコリント513

パウロは、前の手紙(詳細は不明)が誤解されていることを述べ、信仰者が聖さを保つための大切なことを伝えようとしています。

1.信仰者への悪影響

信じていながら罪(聖書が指摘する罪)にとどまり続ける人は、イエスさまの目線で自分を見ようとせず、聖霊の導きにも背を向けています。その姿は周りの信仰者の弱さを刺激し、肉の思いを引き出していきます。信仰者であっても決して強くはなく、影響を受けやすい存在です。だからパウロは、罪にとどまり続ける人との交わりを避けるように忠告をしています。

2.群れへの悪影響

罪にとどまり続ける人をそのままにしておくと、教会が誤解され、福音の証しが弱められてしまいます。本来、教会は愛をもって忠告し、悔い改めの機会を与える場所です。しかし、重ねて勧めても聞き入れないならば、教会の健全さと証しを守るため、距離を置く必要があるとパウロは教えています。

3.神が嫌うもの

罪にとどまり続ける歩みは、神さまが忌み嫌われるものです。だから神さまを主と信じる者は、それを軽く見てはなりません。私たちは、その人の重荷を覚えて祈り、主にある愛をもって正しく忠告をします。それでも立ち返ることができない場合は、神さまの聖さを大切にするためにその人を神さまの御手に委ね、交わりを避けることが求められています。

2026215日 週報より

2026年2月8日日曜日

純粋で真実なパン

聖書箇所 コリント人への第一の手紙56-8

ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。コリント58

1.罪を軽く見ない

コリント教会は、罪を見過ごすことを「愛」と勘違いして、罪を軽く見ていました。私たちはキリストによってすべての罪を赦されていますが、罪を意識しなくてよいわけではありません。自分の罪深さと、そんな自分を赦してくださる主の恵みの大きさを知ることで、霊的に成長していくのです。

2.古いパン種

コリント教会の人たちが正しいと信じて誇っていたものは、罪への恐れや砕かれた心を欠いた思い込みにすぎませんでした。そんな高ぶりや誇りは、パンをふくらませるパン種のように信仰に悪影響を及ぼします。古いパン種とは、信仰を持つ前の古い人としての肉の思いからくる高ぶりや誇りです。自分には誇れるものは何もないとする砕かれた心を忘れると、自分だけでなく、教会全体の霊的成長をも妨げることになります。

3.古いパン種を取り除く

私たちは自分の力ではなく、キリストの十字架のみわざによって、古いパン種のない「純粋で真実なパン」とされています。しかし、その恵みを十分に受け取れていないとすぐに肉の思いが入り込みます。古いパン種を取り除くとは、自分を誇らず「純粋で真実なパン」とされたことを感謝して、神さまだけを見上げて歩むことです。日々、自分の中の高ぶりを点検し、古いパン種に注意して「純粋で真実なパン」として歩む大切さを教えられています。

2026年2月8日 週報より