十字架~父なる神の苦しみ
聖書箇所 マルコによる福音書15章33-41節
イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、「まことに、この人は神の子であった」。 マルコによる福音書15章39節
1.苦しまれた父
親子関係の断絶は、イエスさまだけでなく、父なる神さまにとっても深い悲しみでした。その思いが3時間の暗闇であらわされたのです。そこでイエスさまは「なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれます。これは「神のあなたがそんなにも苦しまなければならないのにどうしてそこまでなされるのですか。あなたの人への愛とあわれみはそれほどまでに深いのですね」との思いなのです。
2.隔ての幕の消失
イエスさまが息を引き取られた時、神殿の聖所と至聖所を仕切る幕が真二つに裂けます。至聖所には神の存在を示す契約の箱が置かれていました。ここは年に1回、大祭司だけが入ることができました。しかしこの隔ての幕が引き裂かれたことは、誰でもイエスさまを通してはばかることなく、神さまの御前に出ることができるようになったことの証明でした。
3.霊で受けとめた百卒長
百卒長は「まことに、この人は神の子であった」と言います。この発言は彼の立場を危うくするものでした。それでも、彼はこの言葉を秘めておくことができませんでした。それは彼が十字架の一部始終を霊で受けとめていたからです。人は心の奥に霊が備えられています。この霊は、神さまの言葉に触れたり、霊的事実に直面したりすることで働きます。私たちも今日示されている父なる神さまの大きくて深い愛とあわれみを霊で受けとめていきましょう。
2025年8月17日 週報より