2025年11月2日日曜日

世の知恵から神の知恵へ

聖書箇所 コリント人への第一の手紙26-10

むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。コリント27

1.世の知恵によらない信仰

パウロは、私たちが信仰を持てたのは自分の考えや知識によるのではなく、神さまの力と聖霊の導きによるのだと言います。世の知恵は一見良さそうに見えても、人を神さまから離し、滅びへと向かわせるのです。パウロはこの世の知識を人一倍得ていましたが、それよりもキリストを知ることの方が何より大切だと悟りました。信仰は、神さまの力によって支えられています。

2.罪に断たれた神の知恵

人はもともと神さまと深くつながり、神の知恵を持って生きていました。しかし最初の人アダムが罪を犯したことで、そのつながりが断たれました。しかし神さまは、イエス・キリストの十字架によって、私たちに罪の赦しと神さまの知恵が与えられるようにしてくださいました。聖霊が主の知恵を私たちに教え、神さまの御思いを分かるようにされるのです。信仰そのものや信仰による歩みも聖霊の助けによって与えられるのです。

3.円熟した信仰者

コリントの人たちは、聖霊の働きを目に見えるしるしである異言で判断していました。しかし聖霊は見えなくても、確かに私たちに働いて神さまの知恵を与えてくださいます。そして私たちの内に起こされた思いが世の知恵からか、神さまの知恵から来ているものかを見分けられるようにされるのです。円熟した信仰者とは、聖霊の導きを信じ、神の知恵で一歩を踏み出していく人なのです。

2025112日 週報より 

2025年10月26日日曜日

弱さに働く神の力

聖書箇所 コリント人への第一の手紙21-5

それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。コリント25

1.知恵を用いなかったパウロ

アテネでの宣教ではイエスの復活が受け入れられずに、失意の中でコリントに来たパウロでした。ここで彼は、自らの弱さを隠さず、ただ十字架につけられたキリストを語ることに徹しました。巧みな言葉や人間的知恵に頼らず、聖霊の力にのみ期待して宣べ伝えたのです。パウロは自らの弱さを認めながら、結果ではなく主が働いてくださることに集中し、また期待して語り続けました。

2.パウロの伝えたかったこと

パウロは、コリントの人々の信仰が彼らの努力や知恵によるのではなく、神の力と聖霊の働きで与えられたものだと教えました。人々は、パウロ自身が弱さを覚えて語った福音を通して信じました。それは神さまからの一方的な御恵みでした。そんな人々が自分の知恵や力を誇り、派閥争いをする姿を見て、パウロはあなたがたの信仰はただ神さまによることを思い出すようにと伝えていました。

3.パウロの言う「神の力」

ここでパウロが言う「神の力」とは、奇蹟のことではなく、信仰者の霊を強める上からの力です。この力は自らの弱さを認め、神さまに全き信頼を置く者に注がれ、信仰を支え育てる力です。しかし自力や知恵に頼む者には及ぶことはありません。パウロは、この「神の力」により信仰者が立ち続け、どんな苦難の中でも平安と喜びを失わず歩めることを願っていました。「わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」これが神さまの約束です。

20251026日 週報より

2025年10月19日日曜日

キリストに満たされる歩み

聖書箇所 コリント人への第一の手紙126-31

それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。Ⅰコリント131

1.劣等感や優越感からの解放

コリントの教会の人々は、信仰を持ちながらも世の価値観に縛られていました。彼らは肉の思いで自分と人を比較し、劣等感に悩み、優越感を持ち続けたいと願っていました。知識人となることや高い地位を求めて、知恵を得ることに心を奪われたのです。私たちもまた、この世の価値観に影響されます。けれども、神さまが望まれるのは、世の基準で人と比べることではなく、御前に低く歩み、聖霊に助けられて心の内の肉の思いを取り除いていくことなのです。

2.無に等しい者

神さまは、世で「無に等しい」と見られる者をあえて選ばれました。それは、人が自分を誇らず、ただ神さまの恵みに依り頼むためです。聖書の中で取税人がへりくだって祈ったように、自分の無力さを知る者こそ神さまに受け入れられます。信仰とは、自力で自分を高める努力ではなく、神の前に「何もない者」であると認め、恵みによって生かされていることを感謝して歩むことです。

3.キリストに満ちる

私たちは、自分の価値や力によってではなく、神の恵みによってキリストに結ばれています。肉の思いからくる誇りを手放すとき、キリストが内に満ち、神の知恵と力が注がれます。誇るべきは自分ではなく主なる神さまです。自らを低くし、キリストに満たされて歩むとき、神の豊かな恵みが私たちに流れてきます。「誇る者は主を誇れ」―これが霊で生きる信仰者の姿です。

20251019日 週報より