聖餐式に見るキリストの心
聖書箇所 コリント人への第一の手紙11章23-32節
だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである。 Ⅰコリント11章27節
1.霊的意味合いの確認
聖餐式は、形だけを厳かに行う儀式ではありません。キリストの十字架による罪の赦しと、流された血による新しい契約の恵みを、自分自身のこととして確認するものです。「私は罪赦され、神の民とされている」との霊的事実に立ち、礼拝、御言葉、祈り、感謝が形だけになっていないかを自ら省み、主との真実な関係を確かめるために与えられている機会です。
2.繰り返すメリット
聖餐式を繰り返し行うのは、キリストの死と与えられた救いの恵みを、何度も思い起こして心に刻むためです。確かに繰り返すことで形式化する恐れがあります。そうであっても、人は神さまの恵みを忘れやすい存在です。なのでこの恵みを繰り返し確認することが必要です。「誰が私のために死んでくださったのか」「私は今どんな恵みの中にいるのか」を繰り返し覚えることが大切なのです。
3.ふさわしくない態度
コリント教会では、聖餐式が形だけになっていました。「ふさわしくない」態度とは、自分が弱さの中にあるにもかかわらず、キリストの十字架による赦しと新しい契約の恵みを受けとめられていないことです。また、「自分を吟味する」とは自分を責めることではありません。今も十字架の恵みを信じ、神さまに信頼して歩んでいるかを確かめることです。聖餐式は裁きの場ではなく、福音に立ち返り、神さまへの信頼による恵みを新たに受け取る場なのです。
2026年8月16日 週報より