2026年1月18日日曜日

自己満足の恐さ

聖書箇所 コリント人への第一の手紙46-13

あなたがたは、すでに満腹しているのだ。すでに富み栄えているのだ。わたしたちを差しおいて、王になっているのだ。Ⅰコリント48

1.高ぶる人々

コリント教会の分派の原因は、自分の基準で人を裁く高ぶる心にありました。彼らは世の知恵や力を追い求めても真の幸いは得られないと悟り、信仰の歩みを始めたはずでした。しかし再び世の価値観に戻されてしまっていたのです。高ぶりは、心を神さまから遠ざけます。私たちは、罪だらけの不完全な者でした。それでもイエスさまによって、聖い神さまの前に立つことを赦されている者なのです。それを認めて、へりくだって歩むことが求められています。

2.すべては神の恵み

分派問題の根底には、自分で自分を高めようとする思いがありました。福音を理解して、神さまの力を受け取るために必要な知恵は、すべて神さまから与えられたものでした。しかし彼らはそれを忘れて、人の知恵を誇っていました。パウロは「受けたものを誇るな」と語ります。今ある恵みを、すべて神さまからのものとして受けとめられないと、人は高ぶってしまうのです。

3.自己満足による完成

コリントの人たちは、自分たちはもう十分に分かっていると自己満足し、神さまのお心を求めなくなりました。そして心がどんどん肉の思いに占領されてしまったのです。そうなれば、イエスさまの十字架による福音が伝えられても信仰は成長しません。十字架の犠牲が虚しいだけで終わってしまいます。信仰者は人の知恵で裁かず、神さまを信頼し、みこころを第一に求め続けることが大切なのです。

2026118日 週報より

2026年1月11日日曜日

キリストを仰ぐ教会

聖書箇所 コリント人への第一の手紙41-5

このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。Ⅰコリント41

1.キリストに仕える者

パウロは、コリントの人々の中に、自分を一派の指導者としてしか見ず、自分の言葉に耳を傾けない人たちがいることを知っていました。そこで彼は、伝道者とはどのような存在かを示します。まず伝道者とは、キリストに仕える者だと言います。つまり自分の考えで語る者ではなく、ただキリストの御心に従い語る者なのです。

2.神の奥義の管理者

また、伝道者は神の奥義の管理者です。それは、イエス・キリストの十字架によって示された福音をあずかり、正しく伝える務めです。この奥義は聖霊の導きによって知らされます。管理者にとって大切なのは、あずかった福音を自分の思いで足したり引いたりせずにそのまま伝える忠実さだと教えられています。

3.人ではなく主キリストを仰ぐ

私たちは伝道者を人としての話の上手下手等で評価するのではなく、神の奥義の管理者として見る必要があります。そして神さまのお言葉をまっすぐに語る伝道者を通してイエス・キリストを仰ぐように導かれています。聖霊は信じるすべての者の内に働き、御言葉を理解する力を与えてくださいます。教会全体が聖霊に満たされるとき、心が一つにされ、聖霊が群れを前進させるのです。その中で一人ひとりがキリストの似姿とされ、教会としてまた群れの一人ひとりも霊的成長をいただくのです。これが伝道者や牧師といった人を仰ぐ教会ではなくて主イエス・キリストを仰ぐ教会の姿です。

2026111日 週報より

2026年1月1日木曜日

神さまが何を望んでおられるかを知る

聖書箇所:ローマ人への手紙12章2節

「何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、

かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」

ローマ人への手紙122

1.みこころを知る理由

神さまのみこころを知る理由は、そのみこころの中を歩むためです。世と世の欲を中心に生きる歩みは滅びに向かいますが、神さまのみこころを行う者は神さまとの永遠の交わりに生かされます。神さまは祈りをきいてくださるお方です。ただしみこころにかなわないことにまで応えてくださるわけではありません。だから私たちはみこころを求めつつ、神さまの時を信頼し、また期待して待ち望むのです。

2.世と妥協してはならない

聖書は、神さまのみこころを知るためにこの世と妥協しない、世に調子を合わせないようにと勧めています。私たちはかつて世の価値観に流されていて、今もその影響を受けやすい者です。しかし、キリストを信じた者の内には聖霊がおられます。世の影響は肉の思いとして働きますが、聖霊はそれに逆らって働かれます。そしてパウロは「心を新たにすること」で世と妥協しない歩みが可能になるといいます。

3.心を新たにすること

信じた瞬間、私たちの霊は罪の赦しとともに完全に回復しますが、心はすぐには一新されません。世の影響や肉の欲が残るからです。しかし聖霊を意識して歩む中で、心は徐々に新しくされ、考え方や生き方が神に喜ばれるものへ変えられていきます。そうすれば、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかという神さまのみこころを、わきまえ知ることができるようになります。

2026年元日礼拝より